こんにちは。

シリーズ:本質って何ぞや?

前回は根本治療と対症療法について書かせていただきました。

今回は一部、その続きという意味を込めて、

問題のすり替えについて書かせていただこうと思います。


仕事をしている上で、時々思う事があります。

「あの仕事って、誰が担当になっても、できないんじゃない?」

といった類の事です。

内情は分かりませんが外から見たときに、

誰がやっても同じような問題を繰り返してしまっている。。。

どう対処していいのか、誰もわからないのでは??

って思える事、ありませんか?


06_組織
Gerd AltmannによるPixabayからの画像


そういう時って、多くの場合、

問題のすり替えが行われてしまっていると思うのです。

何が悪かったのか?という問題から、

誰が悪かったのか?という問題にすり替わってしまっている、

そう思えてしまいます。


ま、担当になる=責任を負うという意味合いではアナガチ間違いではないでしょうが、

果たしてそれで良いのでしょうか。。。


多くの場合、問題の根本を掴むのはとても難しいと思います。

掘っても掘ってもなかなか見えてこない場合もあります。

プラスして、大体は時間に余裕がなく、色々な仕事が降ってきます。

つまり、じっくり問題解決に充てられる時間が殆ど無いのではないでしょうか。

そういう時は得てして、すぐに見えてくる「対策みたいなもの」に飛びついてしまうものです。


言い方を変えれば、根本治療ではなく対症療法をしてしまっているとなるでしょう。

問題の根源がどこにあるのかがわからず、

そのまま放っておくので、いつまでも問題が解決しない。

そのように思えてしまいます。


前述しましたが、担当者には責任がある。

ただ、必要以上に責任を負い過ぎてしまってはいないかと思うのです。

責任者が責任を負う、それだけで問題が解決したと言えるのでしょうか。

この記事の冒頭に書かせていただきました「誰がやっても結果は同じ」の例についてですが、

こういった時は担当者が問題ではなかったとは言えないでしょうか。

「人」の問題ではなく、「組織」や「文化」、「ステレオタイプ」等々の問題ではないでしょうか。

もしそうだとしたら、問題のすり替えにより、

担当者に必要以上の責任を負わせているということになるでしょう。

外部から見ている分には被害はそれほどないと思いますが、

いざ担当者本人になった場合、

「こんなのやってられるか~!!」となるのではないでしょうか。

真に何が問題なのかを見極める、

そういった能力を身につけていきたいものですよね♪


以上、

「真の問題点から目を逸らさずにいたい」

の巻きでした。

誰しも楽はしたいもの。

しかし、結局は根本治療をした方が後々楽になりますよね♪

ではまた。